カフェでベーカリーで時々屋台。coffee, bread, veggie dishes, and mobile kitchen.

遅ればせながら復興支援ボランティア報告です。その12012/03/28 14:42

もう二週間近く経ちましたが3月16~18日の間、HSVN(葉山災害ボランティアネット準備会)の宮城県東松島市における復興支援ボランティア活動に参加してきました。HSVNは2011年9月に葉山町福祉協議会主催で実施された「ボランティアバス」参加者と、個人で様々な災害ボランティア活動をしている方々を中心に、準備会として発足したボランティア団体です。

他の参加している方に聞いたところ、3.11の復興支援だけでなく今後、葉山で同様の災害に見舞われた時のボランティア活動/受け入れ母体を目指して設立を準備しているそうです。町議会議員も数名加わっています。

今回の参加者は老若男女42名(うち鎌倉市民1名)。親子参加も数組いました。バスで町役場を夜9時半出発、7時に東松島市宮戸地区の民宿「山根」に到着。インターから市内へ入り宿へ向かう景色は、バスの窓が曇っていて良く分からなかったのですが、海と山と平らな農地が広がっていたようでした。宿は砂浜に面した丘の上に建っていて外側にパイプで足場が組まれていたものの、大きな被害は見えません。直ぐ脇に仮設住宅が何十棟か並んでいました。生活雑貨も見えたので住んでいる方たちがいるようですが、早朝のせいか人の影は見えませんでした。

あてがわれた部屋で着替え、朝食の握り飯を大広間で食べ、各々ビブス(ゼッケン)に名前を書いてすぐにバスで東松山市内の視察。東松島市は、宮城県内で一番被害が大きく、津波で浸水した地域は市内の73%、人口に対する死者の割合が一番高かったそうです。また、宿へ向かう途中で見渡す限りの平らな農地に見えたところは農地ではなく、被害にあった住宅地跡だったのでした。あちこちに出来た水たまりは田んぼではなく、塩水の水たまりで中々、ひかないんだそうです。ほとんど建物も残骸も残っていません。それらの瓦礫は重機で一ヶ所に集められ、まるで昔社会科見学で見た「夢の島」のようです。

野蒜地区、海岸近くにある鳴瀬二中の校舎を見学しました。校舎2階の窓の途中まで津波が来た跡が残ってました。だいぶ片付けられていましたが、もうこの校舎は使わないそうです。生徒のであろう野球のミットやアルバム。もう取りに来ないのでしょうか。

その後、より内陸の野蒜駅へ。当時、踏切が閉まり道路渋滞が発生したところに津波が来て、大勢の犠牲者が出たのだそうです。まだ電車は走ってません。路線ごとより内陸への移転という話もあるそうですが、周辺では移転反対の声もあります。

9時半、再び海岸線へ向かいます。いよいよ野蒜海岸の清掃活動です。かつては海岸線にあった見事な松林は、ほぼ見る影もありません。駐車場の地面は波打ち、堤防はボロボロ、あちこちに転がっています。清掃とはいうものの瓦礫の撤去もある力仕事です。ミネラルウォーターが配られました。途中、土浦からのボランティアもやってきて隣で作業してました。

去年、BOSSが行った石巻では臭いが相当キツかったといってましたが、ここは幸い臭いはありません。朝は一時晴れたもののやがて雨が降り出しました。僕は暑くなるのがイヤで宿にカッパを置いて来てしまったのですが、かなり強くなって来てメンバーの方にジャンバーを借して作業を続行。適宜休みを取りながら皆さんと力を合わせ清掃を続け、回収した瓦礫を分別してそれぞれ山にします。

12時、迎えのバスで野蒜小学校へ。小学校の校庭には仮設消防署や仮設住宅もありました。BOSCHのプレートがついてました。校舎内には電源が来ていて、数枚のホットカーペットとストーブが冷えた身体にありがたい。そしてお昼のお弁当。お弁当のガラは丁寧に分別回収。葉山町民はゴミの分別が得意です。外の雨はどんどん激しくなって、残念ながら午後の活動は中止になりました。かわりに日赤防災ボランティアによる救急法の講習会(搬送法、三角巾の使用法)となり、大変ためになりました。

その後、野蒜小学校体育館へ。ここは地震から避難して来た小学生たち40人が津波の犠牲となった場所でした。

再びバスに乗って、東名地区(墓地、住宅地、漁港ほか)を視察。雨にあたって作業したせいか熱っぽくなってきたので、バスに残って少し休みました。

宿に戻って着替えたのですが、体調がすぐれず横になって大広間での懇親会は途中から参加し、夕食を食べました。今は奇麗になった大広間も津波が天井まで来たそうです。夕食後はすぐに部屋に戻り、布団を敷き軽く寝てから風呂に入りました。部屋には暖房があるのが嬉しい。波の音が聴こえます。窓の外に目を凝らして見ると、真っ暗ですが直ぐ側に海があるのが分かります。明日に備え薬を飲んで就寝。元気な方たちはロビーで酒宴を催している様子。夜、比較的長い地震を感じました。つづく

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