カフェでベーカリーで時々屋台。coffee, bread, veggie dishes, and mobile kitchen.

カンボジアの話。2007/04/15 19:44

憧れのアンコールワットに行ったのは、もう何年前の事になるのだろうか。すっかり旅しやすくなったタイに、ちょっとした物足りさを覚え、冒険の旅をしたくなった私はタイの国境のまち、アランヤプラテートから陸路でカンボジアに入りシェムリアップへ行くという方法を選んだ。

国境を超えたとたんに、カンボジアはまさにカンボジアそのものだった。それはホントに強烈な経験だった。いつ着くのか?本当に着くのか?と思うほどに延々とミニバスに乗り続け、もうちょっとというところで、クルマのタイヤがパンク。暗くなった道に放り出され、タイヤの修理を待つ。蛍の飛び交いはじめた田んぼと野原を眺めながら、「いつ強盗に襲われてもおかしくない」と本気で思ったものだった。カンボジアでは生まれて初めて、何度か死の覚悟をした。

遺跡をまわっていても、市場で買い物をしていても、両手足、顔面の吹き飛んだひとが、物乞いをしていた。地雷で飛んでしまったのだ。地雷でやられなければ、普通に綺麗な年頃の女の子。毎日考えること、思う事がいっぱいで頭がパツパツだった。

カンボジアの女性はよく鼻歌を歌っていた。とてもきれいな囁くような歌声だった。

この旅で、思いがけず一ノ瀬泰造氏のお墓に行く事ができたのも本当に嬉しい経験だった。泰造氏のお墓については賛否両論で、色々な事をいう人たちもいるようだが、そこにあった寄せ書きノートを読んだ私は、記し残されたみんなの素直な心から「理屈抜きに前を向き、進んでいけるというのは、実はとても大切な事なのだ!」という教えを学んだのであった。理屈抜きに情熱で動く人たちの力があつまって(ひとりひとりの力は些細なものであっても)、地雷が撤去されたりするのだ。旅の良さは、普段動かない心のどこかが動くことだ。たった1週間でも、一生忘れない事を「感じたり」するのが旅の良さだと思う。

カンボジアでの1週間は、私の望んだ通りに連日大冒険となり、バンコクに戻ったときには、すっかり田舎の素朴な人間になりきっていた私たちは、エンポリアム(バンコクの高級デパート)で行われたファッションショーを観ながら、呆然としていた。きっとその口はぽかーんと開いていた事だろう。

また行くぞ、カンボジア。