カフェでベーカリーで時々屋台。coffee, bread, veggie dishes, and mobile kitchen.

おおよその収支内訳。正直キツいけど…2012/03/01 18:13

先日、皆さんからいただいた応援金とパン応援通販代金と家中のお金をかき集め、トコの診療費を高度医療センターへ何とか支払ってきました。足りない分は借金ですけどね。

ペットを飼っている方々の参考になればと思いトコが発作を起こして亡くなるまでの収支を以下に報告します。(一部の金額は大体ですが)

JARMeC(日本動物高度医療センター)

  • 基本診察料   5,000
  • 入院料    96,000
  • 検査料    70,450
  • 画像診断料  118,000
  • 薬治料    29,200
  • 注射料    83,700
  • 処置料    36,500
  • 麻酔料    72,000
  • 手術料    294,000

これら + 消費税で845,150円です。

猫が大病(大脳に大きな腫瘍)になってしまうと最終的にはこれくらいの大金がかかってしまうのですね。大型犬などはもっとかかるのでしょう。

これ以外に高度医療センターへ行く前に、深夜の発作でSEAMeC(湘南夜間救急動物病院)へ行き40,000円前後、センターへの毎日の看まい通院、火葬代などで、最終的には凡そ100万円弱かかりましたね。ふー、がんばって稼がねば。

支払い後は4階のラウンジから多摩川の河原を眺めて、トコが間もなくやって来る春の風の匂いを嗅ぎながら目を細め、鼻をヒクヒクさせる仕草を想像し、自分でも真似してみてから帰りました。

皆さん、本当にありがとうございました。

皆さんからいただいたお花は一ヶ月近く立ったものも未だ奇麗に咲き続けています。なっ、トコ、良い香りだよなー。

初ワカメとバッテリー上がり救援2012/03/03 11:35

昨日の朝、漁師のカズマが初ワカメをいっぱい届けてくれた。芽カブもたくさん入ってる。早速湯がいて食べたらウメー!

たかいく農園のトスイ君が野菜を届けてくれた直後、生ゴミ回収に来たヨウスケ君の軽トラが店の前から動かなくなった。

バッテリー上がりくさいのでジフィーに常時搭載のバッテリーケーブルを引っ張り出す。バッテリー位置の関係で店頭のジフィーの向きをいつもの反対向きに停める。軽トラのバッテリーの⊕と⊖がよく見えないのと雨降ってて寒いのとで中々作業が進まない。ようやく記しを確認して接続、ジフィーのエンジンをかける。暫く高めにアイドリング。何事も無かったように軽トラのエンジンはかかった。やっぱりバッテリー上がりだった。

実は自分でバッテリー繋いだの初めてなのでちょっと緊張したけど、手順を憶えておかなきゃ。それにしてもジフィーがこっち向いてるのもいいもんだな、と一日そのままにした。

先日は葉山でも滅多に無い程の積雪があり、昨日も冷たい雨が一日中降っちゃって、春までまだまだ気が抜けんないなー。

一部保存用にワカメを干した。今日の暖かい春風に揺れてる。

そして僕らはパンを焼き、店を開けてお客さんの来店を待ち、食事や飲み物を提供して一日を終えるのだ2012/03/09 23:30

昨日はトコの初めての月命日だった。あっという間だったようでもあり、遠い昔のようでもあり、出来事の順序も気をつけないと良く分からなくなる。

トコが突然倒れてから、病院連れてって原因不明で帰って来て、痙攣が再発し夜間の救急へ連れてって朝連れて帰り、また病院連れてって一晩入院らち明かず、どんどん悪くなって高度医療センターへ連れて行き即入院。体力の回復を待って精密検査、病因発見、体力回復を待って6時間の大手術、まずまずの成功、術後の経過も良好で一安心だったのが翌々日早朝に、吐瀉物が気管に詰まり心停止、トコは2時間後に死亡した。トコが入院中の毎日は葉山〜二子新地の間を、あるいは絶望と希望の間を往復する十日間だったのだ。

その日々は命というものと向き合って、考えて、決断して、悩んで、また考えて、の連続だった。そして一ヶ月。トコが死んだのは辛いけれども今はそんなに悲しくって耐えられないって訳でもない。それは思いもかけずツイッターやフェイスブックや店頭で応援してくれた人たちがいてくれたからだろう。

思い返せば、去年のあの日から毎日考えて考えて選択して…、そんな日々がずっと続いている。決断すべき事が毎日起きてそれに向かい合っている。きっと一人一人そうに違いない。

そして、今度の日曜日。僕らは特別な事をやるつもりはない。あの日から毎日そうして来たように、パンを焼き、店を開けてお客さんの来店を待ち、食事や飲み物を提供して一日を終えるのだと思う。トコを抱えて店の外に飛び出したあの日のように。

去年の3月のブログも良かったらご覧ください

(月)(火)は色んな国の料理をつくる日にしたいと思います。2012/03/12 10:49

いつも新鮮なタイ食材が揃っていた横浜のお店がなくなってから、バリエーション豊富なタイ料理をつくる事が難しくなってしまいました。

なので当分の間、(月)(火)は色んな国の料理をつくる日にしたいと思います。そのなかで、タイ料理をつくる日もある、という感じです。新しい事にチャレンジしていきたい、という私の気持ちもあります。

よろしくお願いします☆

というわけで、月曜日にRagout de porc au curry (豚肉といんげん、ひよこ豆のカレー煮込み) をつくります。シードルと一緒にどうぞ☆

もちろんスペシャルプレートありますぜ!

ロマネスコと豆のポタージュ。白菜とサヴォイキャベツのシュークルート。人参ラペ(甘酒入り)。大根フリッター。ナッツ&豆ライス、パンでーす。

カノムパン第二回ボランティア活動に行きまーす!で今週末店を休みますぜ。2012/03/13 21:38

昨年の5月、BOSSはコチラに参加して石巻市渡波地区で瓦礫撤去のボランティア活動をしてきました。

  • あれから約1年。なかなか二回目のボランティアへ行けなかったのですが、ついに今週末、僕がこちらの葉山災害ボランティアネット準備会でボランティアとして活動してきます。BOSSが行ったのとは別の、東松山市野蒜というところです。

    今回のボランティア活動費の一部に、皆様からお預かりした募金の¥11,558と100ウォン?と京急バスチケット20円分を使わせていただきまーす。

    なので今週末の金・土・日はお店を閉めます。再開は月曜日の予定です。よろしくー!

    長く続く復興への道2012/03/17 00:00

    ガクくんを乗せたバスは今頃どこを走っているのかなぁ。 昨年五月に石巻に行った時に、地道に続けて行こう!と思ったボランティア活動ですが、第二回目を迎えるのに約一年もかかってしまいました。

    その理由ですが、ボランティアから帰ってきた翌月、私の病気が発覚。そして7月に手術をする事に。すぐに体力が戻るかなぁと、手術前は思っていたのですが、結局日々をこなしていくのが精一杯、といった感じでありました。

    これからも長く続く復興への道だと思いますので、出来るだけ継続して行きたいなぁと思っています。

    明日は東北地方、雨のようですね。帰ってきたら報告があると思いますので、お待ちくださいね。お店は日曜日までお休みさせて頂きます。

    写真は本文とは関係なく、Brooklyn Fleaが行われる会場の写真。古い銀行だった建物で、とても素敵でした。

    遅ればせながら復興支援ボランティア報告です。その12012/03/28 14:42

    もう二週間近く経ちましたが3月16~18日の間、HSVN(葉山災害ボランティアネット準備会)の宮城県東松島市における復興支援ボランティア活動に参加してきました。HSVNは2011年9月に葉山町福祉協議会主催で実施された「ボランティアバス」参加者と、個人で様々な災害ボランティア活動をしている方々を中心に、準備会として発足したボランティア団体です。

    他の参加している方に聞いたところ、3.11の復興支援だけでなく今後、葉山で同様の災害に見舞われた時のボランティア活動/受け入れ母体を目指して設立を準備しているそうです。町議会議員も数名加わっています。

    今回の参加者は老若男女42名(うち鎌倉市民1名)。親子参加も数組いました。バスで町役場を夜9時半出発、7時に東松島市宮戸地区の民宿「山根」に到着。インターから市内へ入り宿へ向かう景色は、バスの窓が曇っていて良く分からなかったのですが、海と山と平らな農地が広がっていたようでした。宿は砂浜に面した丘の上に建っていて外側にパイプで足場が組まれていたものの、大きな被害は見えません。直ぐ脇に仮設住宅が何十棟か並んでいました。生活雑貨も見えたので住んでいる方たちがいるようですが、早朝のせいか人の影は見えませんでした。

    あてがわれた部屋で着替え、朝食の握り飯を大広間で食べ、各々ビブス(ゼッケン)に名前を書いてすぐにバスで東松山市内の視察。東松島市は、宮城県内で一番被害が大きく、津波で浸水した地域は市内の73%、人口に対する死者の割合が一番高かったそうです。また、宿へ向かう途中で見渡す限りの平らな農地に見えたところは農地ではなく、被害にあった住宅地跡だったのでした。あちこちに出来た水たまりは田んぼではなく、塩水の水たまりで中々、ひかないんだそうです。ほとんど建物も残骸も残っていません。それらの瓦礫は重機で一ヶ所に集められ、まるで昔社会科見学で見た「夢の島」のようです。

    野蒜地区、海岸近くにある鳴瀬二中の校舎を見学しました。校舎2階の窓の途中まで津波が来た跡が残ってました。だいぶ片付けられていましたが、もうこの校舎は使わないそうです。生徒のであろう野球のミットやアルバム。もう取りに来ないのでしょうか。

    その後、より内陸の野蒜駅へ。当時、踏切が閉まり道路渋滞が発生したところに津波が来て、大勢の犠牲者が出たのだそうです。まだ電車は走ってません。路線ごとより内陸への移転という話もあるそうですが、周辺では移転反対の声もあります。

    9時半、再び海岸線へ向かいます。いよいよ野蒜海岸の清掃活動です。かつては海岸線にあった見事な松林は、ほぼ見る影もありません。駐車場の地面は波打ち、堤防はボロボロ、あちこちに転がっています。清掃とはいうものの瓦礫の撤去もある力仕事です。ミネラルウォーターが配られました。途中、土浦からのボランティアもやってきて隣で作業してました。

    去年、BOSSが行った石巻では臭いが相当キツかったといってましたが、ここは幸い臭いはありません。朝は一時晴れたもののやがて雨が降り出しました。僕は暑くなるのがイヤで宿にカッパを置いて来てしまったのですが、かなり強くなって来てメンバーの方にジャンバーを借して作業を続行。適宜休みを取りながら皆さんと力を合わせ清掃を続け、回収した瓦礫を分別してそれぞれ山にします。

    12時、迎えのバスで野蒜小学校へ。小学校の校庭には仮設消防署や仮設住宅もありました。BOSCHのプレートがついてました。校舎内には電源が来ていて、数枚のホットカーペットとストーブが冷えた身体にありがたい。そしてお昼のお弁当。お弁当のガラは丁寧に分別回収。葉山町民はゴミの分別が得意です。外の雨はどんどん激しくなって、残念ながら午後の活動は中止になりました。かわりに日赤防災ボランティアによる救急法の講習会(搬送法、三角巾の使用法)となり、大変ためになりました。

    その後、野蒜小学校体育館へ。ここは地震から避難して来た小学生たち40人が津波の犠牲となった場所でした。

    再びバスに乗って、東名地区(墓地、住宅地、漁港ほか)を視察。雨にあたって作業したせいか熱っぽくなってきたので、バスに残って少し休みました。

    宿に戻って着替えたのですが、体調がすぐれず横になって大広間での懇親会は途中から参加し、夕食を食べました。今は奇麗になった大広間も津波が天井まで来たそうです。夕食後はすぐに部屋に戻り、布団を敷き軽く寝てから風呂に入りました。部屋には暖房があるのが嬉しい。波の音が聴こえます。窓の外に目を凝らして見ると、真っ暗ですが直ぐ側に海があるのが分かります。明日に備え薬を飲んで就寝。元気な方たちはロビーで酒宴を催している様子。夜、比較的長い地震を感じました。つづく